黒い肌の焼締めによる陶彫にひそかに打ち込んでいた
神谷尚孝が、四十年近く住んでいる久我山の地名をとって 「久我山燒」と称し、成果
を初めて世に問う。
戦後の美術に新しい風が吹いていた若い頃、抽象彫刻の 気鋭の作家だったこの作者は、事情があって久しく発表活動
から遠ざかっていたが、六十歳を迎えるころから制作を再開した。
それらは、粘土で原型を作り、石膏に抜き、硬質樹脂で仕上げた 極めて計算の行き届いた、構築的で精巧な抽象彫刻で、永い
ブランクを感じさせない現役復帰であった。ところが、神谷は、 忽然と焼きものに向かって突進し始めたのである。珠州の
古陶に触発されてのことだという。成型と焼成の習熟にはげみ、 ガムシャラに作った。
|
|
肌は、黒いが黒陶に非ず、もちろん器物に非ず。ひも作りに
よるバラエティに富む「久我山燒」に、作者は、遥かな古代への 思いをこめる。エネルギッシュで縄文的、端正で弥生的、また、
野性的、時にはユーモラスに。
ずんぐり丸い「石敢當」横一文字の割れ目がシャープな球形の 「丸石神も叫んだ」おおらかな曲線が盛り上がった「シャーマン」
陣笠に丸い穴があいた「村長」「空冥」…
そこには、呪術的な祈り、土俗的な素朴さ、おおらかな情愛など、 古代のさまざまなイメーが交錯する。いずれも、焼き物の制約
ぎりぎりのところで土を生かした力わざだ。
真に自由な造形精神の発露を「久我山燒」に見た。
(美術評論家)
|