作品集からの抜粋 (海老塚さんの)初期の「虫」から近年の「水」に至る経緯で一貫するものがあるとすれば、「生と死」への関心のようである。より具体的に言い換えれば、「生への不安」と「死への恐
怖」ということではないだろうか。いずれも生きることに対する不安定な心情が影響した主題 と思われる。
(武田 厚 美術評論家)
(つまり) この作家は、こうした激しい情感を作詩という形で表現しつづけていたのである。
この頃、詩人・海老塚は作詩と並行して絵を描きはじめ横浜美術協会展等に発表し始める が、やがて詩人を廃業し、画家に専念することを決意したようである。自らを表現する手段
をペンから絵筆に切り換えたのである。私が画家・海老塚市太郎と出会ったのはこの頃で ある。
(大渕 武美 評論家 多摩美術大学教授)
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1988年教職を定年退職して、新しい時期を迎えた。翌年20年ぶりにルナミ画廊で個展「古
代ー水より」を開催した。この年 山北町に山荘アトリエを建てたのを機に急流に触れて、 みずについての新しい思いが深まり「古代ー水より」のシリーズが展開しはじめた。画風も
抽象表現主義から明るい色面の構成へと変化した。長男・耕一との二人展の開催は新しい 時期への転換期となり、ぎやらりいセンターポイントなどで発表活動が活発になった。
(三木 多聞 美術評論家)
‥‥大きな空間が表れてきて、言ってみれば、これはせり出してきたという感じですね。決して具象ではないんだけれども、抽象でもないし、そういうものがあるかたちをもって、造形として表れてきたという印象をもちます。そういう意味の成熟期に入られた。
72(歳)になって成熟期という言い方は変かもしれませんが、これまでなかなか成熟しないよ う頑固な歩みだったという気もします。
(一井 建二 「美術の窓」 編集長)
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