海老塚市太郎

EBIZUKA Ichitaro



1927年 横浜市生まれ
個展
1962 横浜画廊(横浜)
1963 ルナミ画廊(東京)
1964 <分解する樹魂>ルナミ画廊(東京)
1965 <化石になる樹魂>ルナミ画廊(東京)
1966 <赤い池>ルナミ画廊(東京)
1967〜69 <でくのぼう>ルナミ画廊(東京)
1969 <滞欧作品展>梅花亭ギャラリー(東京)
1989・1990 <古代ー水より>ルナミ画廊(東京)
1991 <水の標本>ルナミ画廊(東京)
1992・1993 <水の標本>ぎやらりいセンターポイント
1994・1995 <水の内側>ぎやらりいセンターポイント
1995 <ちいさな回顧展>日本橋高島屋(東京)
<ちいさな自選展>鶴見画廊(横浜)
1996 <水の記憶>ギャラリー伊勢由(東京)
1997〜2000 <水の記憶>ぎやらりいセンターポイント
2000 <水の記憶>ギャラリー風童門(東京)
鶴見画廊(横浜)
2001 <水の記憶>ぎやらりいセンターポイント
2002 <水の記憶>ギャラリーセンターポイント
   
グループ展
1957 ハマ展(1964年まで)
1959 モダンアート展(東京都美術館・現在まで継続)
1961 第5回シェル美術賞展 佳作賞(白木屋・東京ほか)
1963 4人展(銀座画廊・東京)
1964 ルナミ画廊選抜展(ルナミ画廊・東京)
第3回国際青年美術家展(西武百貨店・東京)
1965 サクレ展(横浜市民ギャラリー・1997年まで)
1967 5×3−1=14人展(ルナミ画廊・東京)
第1回新人の美術招待展(横浜市民ギャラリー)
1968 ルナミ画廊選抜展(ルナミ画廊・東京)
モダンアート秋の美術展(横浜市民ギャラリー)
新鋭作家13人展(梅花亭ギャラリー・東京)
1978 七つの丘展(つうりすとギャラリー・横浜・1994年まで)
1985 モダンアート明日への展望(横浜市民ギャラリー・現在まで継続)
1990 二人展<海老塚市太郎+海老塚耕一>(彩 林画廊・横浜)
1991 関西モダンアート展(高松市美術館・香川)
鶴見美術家協会展(カミン・横浜・1993年まで)
1995 '95 YOKOHAMA (万国橋ギャラリー・横浜)
8人の現代作家展(井上画廊・東京)
1996 '96 YOKOHAMA ELVEN (万国橋ギャラリー・横浜)
1997 モダンアート30人展(ギャラリーホシヤ・東京)
1998 '98 新春現代作家小品展(千駄 木画廊・東京)(現在まで継続)
「四つの手」展(ギャラリー華沙里・川崎)
「イメージの中の銀座」展(井上画廊・東京)
1999 初春の7人展(ギャラリー八重洲・東京)
C・A・F展(埼玉県立近代美術館)
2000 現代作家6人展(ギャラリーアンファン・東京)
2001 現代アート「起点21」(羅針盤・東京)



著書  

  • 詩集「女よ この空の下に」 1956年 海市発行所
  • 同上   復刻版         1993年 私家版
  • 作品とエッセイ 「いけばなと私」 1994年 私家版
  • 海老塚市太郎作品集(画集) 2000年 生活の友社

画像をクリックすると拡大してご覧になれます


194×162cm
水の記憶 903
1997




194×162cm
水の記憶 908
1997



162×260cm
水の記憶 8
1999




194×192cm

1999



194×192cm
水の記憶 129
2000


 


  作品集からの抜粋 (海老塚さんの)初期の「虫」から近年の「水」に至る経緯で一貫するものがあるとすれば、「生と死」への関心のようである。より具体的に言い換えれば、「生への不安」と「死への恐 怖」ということではないだろうか。いずれも生きることに対する不安定な心情が影響した主題 と思われる。

(武田 厚  美術評論家)

(つまり) この作家は、こうした激しい情感を作詩という形で表現しつづけていたのである。 この頃、詩人・海老塚は作詩と並行して絵を描きはじめ横浜美術協会展等に発表し始める が、やがて詩人を廃業し、画家に専念することを決意したようである。自らを表現する手段 をペンから絵筆に切り換えたのである。私が画家・海老塚市太郎と出会ったのはこの頃で ある。

(大渕 武美  評論家 多摩美術大学教授)

  1988年教職を定年退職して、新しい時期を迎えた。翌年20年ぶりにルナミ画廊で個展「古 代ー水より」を開催した。この年 山北町に山荘アトリエを建てたのを機に急流に触れて、 みずについての新しい思いが深まり「古代ー水より」のシリーズが展開しはじめた。画風も 抽象表現主義から明るい色面の構成へと変化した。長男・耕一との二人展の開催は新しい 時期への転換期となり、ぎやらりいセンターポイントなどで発表活動が活発になった。

(三木 多聞 美術評論家)

‥‥大きな空間が表れてきて、言ってみれば、これはせり出してきたという感じですね。決して具象ではないんだけれども、抽象でもないし、そういうものがあるかたちをもって、造形として表れてきたという印象をもちます。そういう意味の成熟期に入られた。 72(歳)になって成熟期という言い方は変かもしれませんが、これまでなかなか成熟しないよ う頑固な歩みだったという気もします。

(一井 建二  「美術の窓」 編集長)


[RETURN]